まずいなっ。あと10分だっ。

 

 つい先日のこと、とあるお約束のために小走りで通りを急ぎました。

 時間に余裕を見て出たはずが、途中で忘れ物に気がついて一度戻り、そして時間ギリギリになってしまったのです。

 

 もう時計を見ている余裕もなく、ただ道の先をみながら人と人の間を通り過ぎて、ようやく目的地に到着しました。

 

 建物に入って時計を確認。よかった。まだちょっと時間がある。間に合った。

 

 お約束の内容は明かせませんが、直前にそんなドタバタ劇があったせいか、少し浮ついた気持ちのままで、それでも無事に終わりました。

 

 ようやく肩の荷が下り、挨拶をして建物を出ると、ほっと一息つける時間です。

 

 のんびり帰り道を行く――。その時に気がつきました。

 

 町の音が聞こえたのです。

 

 行き交うご婦人のぶら下げたビニール袋の音。車のエンジン音や、チャリンチャリンという自転車のベル。

 そして、お店の自動ドアが開いた瞬間に聞こえてくるにぎやかな音。

 遠くからは電車の通過する音や、駅のアナウンスの声も。

 

 同じ道なのに、そこにはまったく違う世界が広がっている。――いやそうじゃない。

 町に変わりはありません。行きと帰りで違うのは私の心なのです。


 

 その時の心で世界の感じ方がことなる。

 

 どこか寂しく見えたり、輝いて見えたり、疲れて見えたり、怖く見えたり。

 いつもと同じ見慣れた風景なのに、突然、違って見えたり。

 

 ひとたび心を落ち着け、小さな音を拾うように、そっと認識の耳を澄ませれば、聞こえてくる世界がある。

 見えていなかったものが見えてくる。

 

 そんなとき、ああ、この町ってこんな表情もするんだって気づかされたりします。

 

 分刻みのスケジュールで飛び回らなければいけない時もあるけれど、もしかしたら大切な何かを見ずに走り抜けていたのかもしれない。

 

 冬の町中で一人、そんなことを思った帰り道でした。

 

 貴方はいかがですか?

 

 そっと目を向ければ、今まで気がつかなかった美しい世界が、そこに佇んでいるかもしれませんよ。

「お父さん。春が来ましたよ」

「おう。春か。よく来たな。暑かったろう。少し上着を脱いだらどうだ」

 

 文章は小説風にアレンジしていますが、春風亭柳昇さんの落語「里帰り」(または「春が来た」)からです。ちょっとうろ覚えですが。

 

 夏のある日、嫁に行った春がやってきました。聞くと黙って出てきたというではないですか。

 実父から、亭主も向こうのご両親も心配するから早く帰れと言われるけれど、もう二度と戻らないといいます。見ると確かに少しやつれている。

 

 理由を聞けば、亭主は良い人だけど、しゅうとめさんから嫌みを言われ、100円玉1枚だけ渡されて夕飯のおかずとして魚と肉を買ってこいと言われ、しかたなく自分のお金で買っていったことも。

 けれど一度、嫁に行った娘。向こうの家でやっていくしかありません。実父は重ねて早く帰れと言いました。

 春はもうここにも自分の居場所がないとさとり、「あんな家には帰れない。それでも帰れっていうんなら、帰る。そして、向こうのお母さんを殺す」と言うではありませんか。

 

 それを聞いた実父は、「そこまで言うなら、いいぞ。殺してしまえ。お父さんも手伝ってやろう」と言い、奥から白い粉を持って来ました。

 渡して言うには、

「ちょいとひとめしただけでコロリと死んで、遺体からは何の毒物も出てこない。すごい毒薬だろう」

 春はうれしそうに笑って、

「こんな良いもの。もらってもいいの?」

「いいよ」

「本当? じゃあさっそく帰って飲ませよう」

「おいおいちょっと待て。あわてなさんな」

 

 警察に捕まっても遺体からは何も出てこない。けれど近所で嫁と姑の仲が悪かったと言われたら、逃げられやしないだろう。せっかく憎い姑を殺しても自分が捕まっちゃあ、何にもならない。

 だからまずは近所をだませ。それも2、3日のちょっとの間じゃなくて、1年間、向こうの言うことをよく聞いて、みっちりと近所をだますんだ。そうすれば、「あんなに親孝行な人が殺すなんて間違いです」とご近所さんが警察に言ってくれるだろう。証拠はないんだ。無罪。いい考えだろうと。

 

 春はすっかり感心して、

「お父さんは人殺しの名人ね」

と言って、すっかりその気になりました。

 実父は、1年間しっかり我慢するんだぞと春を送り出しました。

 

 1年が経ち、また夏の日に春がやって来ました。

「お父さん。春が来ましたよ」

「なに春? 夏が来ると春が来るって……」

 

 見ると、少しふくよかになって血色が良くなっています。おまけに亭主からとお土産を持って、着ている着物は姑さんが徹夜で仕立てあげてくれたものだと言います。

 しかも1日だけじゃなくて、「あんたはうちに大事な人だから」と、2、3日ゆっくりしておいでと心良く送り出してくれたのでした。

 

 それを聞いた実父はニヤリと笑みを浮かべ、

「近所での評判はどうだい」

と尋ねると、春はうれしそうに、

「とってもいいわ。本当の親子でもこうはいかないって」

 実父は大きくうなずいて、

「それじゃあ、そろそろばばぁを殺ってもいいな」

「お父さん。ばばぁなんて失礼よ」

「お前は殺したいと言ってたじゃないか」

「今じゃあ、家に帰ったらとっても親切にしてくれるし、私もお義母さんを大切にしてるの。亭主より好きなくらいよ。……それでね。お父さん。これらなくなったから返しに来たの」

 

 春はそういって、昨年もらった白い粉を実父に返します。実父はわざと驚いた表情で「ええっ」と言いながら受け取りました。

 そして白状します。「腹が減ったら飲めばいい。そりゃあ、ただのうどん粉だから」「だましたのっ」

 

 だまされたことを知った春に、実父は言いました。

 去年のお前はひどい状態だった。心も追い詰められていて。本当に殺してしまいそうなほどだった。

 だからああ言ったんだ。殺してしまいたいほど姑に親切にすれば、それがウソでもしてもらった方は嬉しいもんだ。嬉しければ、今度は姑がお前を大事にしてくれる。回り回って、お互いに優しくなれると。

 

 春は感激して、今おめでたで4ヶ月だと言い、実父と喜び合ったのでした。

 

 最後に春はふと思いついて尋ねます。

「お父さん、ところでね。うどん粉の薬を飲ませていたら、今ごろどうなっていたんでしょう」

「――そりゃあ、手打ちだ」


 

 今までに2度ほど、仕事上のことで大きな失敗をしたことがあります。

 その時は、職場にいるのも辛くて、離職も覚悟していました。

 

 家路につくのも辛い。ああ、相方になんて言おう。

 私のした失敗を聞いたら、相方からも厳しく責められるかも。

 

 考えていることは、どんどん落ち込んでいきます。

 

 心のうちを表情に出さないように、あいまいな微笑みを貼り付けたままで帰宅しました。

 少し挙動不審のままでお夕飯を終え、少し時間ができたところで、意を決して言い出しました。

 

「時間をちょうだい。言っておきたいことがあるから」

 

 改まってそう言うと、相方は何かあったなと直感したんでしょう。神妙な表情でうなずきました。

 

 いざ対面して、相方の顔を見られずに少しうつむいて、自分の失敗のことを言いました。もしかしたら仕事辞めるかも。いや、辞めさせられるかも。

 

 判決を受ける被告人のような気持ちで、じっと自分の膝を見下ろしていると、

「うん。わかった。大丈夫。わかったよ」

と相方は言いました。

 

 顔を上げて、私は言いつのりました。

「いいの? 家計が苦しくなる。生活のリズムだって、引っ越しすることになるかもしれないし」

 

 けれどそんな私に相方が言ったのは、

「そん時はそん時だ。そっちだって大変だったんだろ」

 

 その一言に私は救われたのです。

 そして、そのあと、子供をぎゅっと抱きしめて癒やされました。


 

 私たちはそれぞれの関係の中を生きています。

 

 上司と部下、先輩と後輩、夫と妻、先生と生徒、スタッフとお客などなど。

 

 そうした多くの関係のなかで、もっとも「無条件」といえる何かを持っているのは家族の関係です。

 

 損得などで作られない関係。

 一緒に暮らしている同居人というだけじゃなくて、一緒に生きているといえる関係。

 私が相方の一言に救われたように、本当に辛いときに受け入れてもらえる関係。

 そこには愛があると思うのです。


 

 もし家族にどう接すればいいのかわからないというなら、春がしたように優しくしてみてください。何もすることがなかったら、抱きしめてあげてみてください。

 

 きっとそこに愛が生まれる。そう信じたい。


 

※春風亭柳昇「里帰り」(youtube)

https://www.youtube.com/watch?v=cVvB6voHqLk

16:00ごろからです。ぜひ聞いてみてください。

 道ばたのコスモス。窓辺に吊り下げていたポトス。光と影のきらめく竹林。五山の送り火。黄金色の稲。

 

 最初のカメラ。フィルムのEOS-KISSで撮ったもの。

 

 ファインダーをのぞくのが楽しくて、フィルムの感度の違いも、蛍光灯下ではフィルターが無いと色味が変わるのもわからずに、ただ気になった風景にレンズを向けてシャッターを切る。

 

 初めの頃はそれが楽しかったのです。

 ……けれどもっと深く知りたい。もっと美しい写真を撮りたいと思うようになり、カメラの本を買っちゃったりしました。


 

 フィルムからデジタルに機種を変えて、ホワイトバランス機能がついて、枚数を気にしなくなって。

 気がつくと、1枚のシャッターの重みが軽くなってしまいました。

 

 それでも一つ前の愛機EOS-5Dには、多くの思い出があります。

 

 初めてのLレンズで撮った写真に感動し、お金を貯めては標準ズーム、望遠ズームのレンズを買いました。

 ウェブ上で見かけたドブロヴニクの写真に魅入られて、コンタックスレンズが使いたくなり、マウントアダプタを購入。

 planarプラナーで撮った写真の生々しさに、Lレンズとは違う感動を覚えました。

 

 結婚式のウェディングドレスの白が上手く写せなくて苦労したり、写真ブログを始めたり。


 

 でもある時、仕事でとあるプロジェクトチームに参加することになり、およそ半年くらいかな。まったくカメラに触れない日々が続きました。

 

 無事に成果を出してチームは解散となりましたが、再びカメラを手にしても、なぜか撮影意欲が湧かない。たった半年のブランクなのに。

 

 その事実に打ちのめされ、それでも何か写真を撮ろうとファインダーをのぞく。……でもシャッターを切れない。

 

 心動かされる光景に出会い、カメラを構える。……でも以前のように構図がとれない。

 どこにピントを合わせるか迷う。被写界深度に、露出に、アングルに、画角に、被写体との距離感に、迷う。

 

 クセのあるレンズの、そのクセすら出せない。

 出てくるのは平凡な写真ばかり。

 

 また防湿庫にしまう日々が続きました。

 

 オールドレンズだったplanar50には、気がつくとレンズに曇りが生じていて。

 それがまた私の心の曇りのように見えてしまって……。


 

 打開策は何かないか。

 単焦点縛りで撮ってみるか。

 それともズームを持ち歩いて気軽に撮影するか。

 

 迷走しながらも、撮ったり撮らなかったりする日々が続きました。



 

――そんなある日。ようやく納得のできる1枚が撮れました。

 森の写真です。

 なんの変哲もない写真。レンズはdistagonディスタゴン35。

 

 でもその写真は、確かに撮影したときの空気を切り取っていました。


 

 今はまだ撮ったり撮らなかったりしていますが、それでも一時期ほど焦ってはいません。

 だってまた撮れるから。きっと納得のいく写真が。


 

 同じように小説も迷う日々が続いていますが、こちらも焦ってはいません。

 大丈夫。自分が書き続けた先に、きっと満足のいく作品が生まれるから。


 

 そんな気持ちで、今日も私はパソコンに向かっているのです。


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