ログイン画面が出てきません。プラグインを停止してログインすることは、しようと思えばできるんですが、エラーついでにサイトを一から作り直すことに。
今まで使用していたテーマやプラグインも、更新が途絶えているのもあったので丁度いいや、と思ったんですが……。想定以上に苦労しています笑
]]>
私は幾つもあります。辞表を出すことを覚悟したような大きな失敗から、最近は雨の日でスクーターでスリップして擦り傷を負ったりもしました。
そういう大きな失敗とか、やらかしちゃったという時って、家族に報告するのが怖くないですか?
◇
かつて大きな失敗をしたことがあって、相方に「ごめん。ちょっと聞いてほしいことがある」と前置きをして、2人だけの家族会議をして報告したことがあります。
「もしかしたら、左遷されるかも」
こっちはもう、どん底の気分です。
相方からも“それはお前が悪い”と言われるだろうなって思いつつ、目線をそらして顔を俯かせました。
そんな時です。
相方が言ったのは、
「――うん。わかった」
たった一言です。しかもね、続いて「なんだ。神妙な様子だから何かあったのかと思ったけど、そんなことか〜」
相方はそういうけれど。でもね。その言葉だけで、私はすごく救われた気分になったのです。
これって同じような状況になったことがある人にしかわからないと思う。
その時に心底、思いました。
ああ、この人と結婚してよかったなぁって。
◇
誰しも過ちを犯すことでしょう。
もちろん、私だってすべての過ちを許すようなことはできませんけど、それでも仕事上の問題とか、私との信頼を損ねるようなもの(不倫はダメ)でない限りは、できるだけ相手を許せる私でありたい。
相方が仕事でミスをしたときに、それを受け入れられる自分でありたい。「いいよ。大変だったね」と言ってあげられる自分でありたい。そう思います。
きっとね。本当のどん底にいる人ほど、そういう許しを求めているのではないでしょうか。
そういう意味では、やっぱり家族って、かけがえのない宝物なんだなって思ったり……。
秋口の夜にそんなことを考えて、相方や家族をとても愛おしく思う私がいるのでした。(酔ってます)
]]>まずいなっ。あと10分だっ。
つい先日のこと、とあるお約束のために小走りで通りを急ぎました。
時間に余裕を見て出たはずが、途中で忘れ物に気がついて一度戻り、そして時間ギリギリになってしまったのです。
もう時計を見ている余裕もなく、ただ道の先をみながら人と人の間を通り過ぎて、ようやく目的地に到着しました。
建物に入って時計を確認。よかった。まだちょっと時間がある。間に合った。
◇
お約束の内容は明かせませんが、直前にそんなドタバタ劇があったせいか、少し浮ついた気持ちのままで、それでも無事に終わりました。
ようやく肩の荷が下り、挨拶をして建物を出ると、ほっと一息つける時間です。
のんびり帰り道を行く――。その時に気がつきました。
町の音が聞こえたのです。
行き交うご婦人のぶら下げたビニール袋の音。車のエンジン音や、チャリンチャリンという自転車のベル。
そして、お店の自動ドアが開いた瞬間に聞こえてくるにぎやかな音。
遠くからは電車の通過する音や、駅のアナウンスの声も。
同じ道なのに、そこにはまったく違う世界が広がっている。――いやそうじゃない。
町に変わりはありません。行きと帰りで違うのは私の心なのです。
◇
その時の心で世界の感じ方がことなる。
どこか寂しく見えたり、輝いて見えたり、疲れて見えたり、怖く見えたり。
いつもと同じ見慣れた風景なのに、突然、違って見えたり。
ひとたび心を落ち着け、小さな音を拾うように、そっと認識の耳を澄ませれば、聞こえてくる世界がある。
見えていなかったものが見えてくる。
そんなとき、ああ、この町ってこんな表情もするんだって気づかされたりします。
◇
分刻みのスケジュールで飛び回らなければいけない時もあるけれど、もしかしたら大切な何かを見ずに走り抜けていたのかもしれない。
冬の町中で一人、そんなことを思った帰り道でした。
貴方はいかがですか?
そっと目を向ければ、今まで気がつかなかった美しい世界が、そこに佇んでいるかもしれませんよ。
]]>「お父さん。春が来ましたよ」
「おう。春か。よく来たな。暑かったろう。少し上着を脱いだらどうだ」
文章は小説風にアレンジしていますが、春風亭柳昇さんの落語「里帰り」(または「春が来た」)からです。ちょっとうろ覚えですが。
夏のある日、嫁に行った春がやってきました。聞くと黙って出てきたというではないですか。
実父から、亭主も向こうのご両親も心配するから早く帰れと言われるけれど、もう二度と戻らないといいます。見ると確かに少しやつれている。
理由を聞けば、亭主は良い人だけど、姑さんから嫌みを言われ、100円玉1枚だけ渡されて夕飯のおかずとして魚と肉を買ってこいと言われ、しかたなく自分のお金で買っていったことも。
けれど一度、嫁に行った娘。向こうの家でやっていくしかありません。実父は重ねて早く帰れと言いました。
春はもうここにも自分の居場所がないとさとり、「あんな家には帰れない。それでも帰れっていうんなら、帰る。そして、向こうのお母さんを殺す」と言うではありませんか。
それを聞いた実父は、「そこまで言うなら、いいぞ。殺してしまえ。お父さんも手伝ってやろう」と言い、奥から白い粉を持って来ました。
渡して言うには、
「ちょいとひと舐めしただけでコロリと死んで、遺体からは何の毒物も出てこない。すごい毒薬だろう」
春はうれしそうに笑って、
「こんな良いもの。もらってもいいの?」
「いいよ」
「本当? じゃあさっそく帰って飲ませよう」
「おいおいちょっと待て。あわてなさんな」
警察に捕まっても遺体からは何も出てこない。けれど近所で嫁と姑の仲が悪かったと言われたら、逃げられやしないだろう。せっかく憎い姑を殺しても自分が捕まっちゃあ、何にもならない。
だからまずは近所をだませ。それも2、3日のちょっとの間じゃなくて、1年間、向こうの言うことをよく聞いて、みっちりと近所をだますんだ。そうすれば、「あんなに親孝行な人が殺すなんて間違いです」とご近所さんが警察に言ってくれるだろう。証拠はないんだ。無罪。いい考えだろうと。
春はすっかり感心して、
「お父さんは人殺しの名人ね」
と言って、すっかりその気になりました。
実父は、1年間しっかり我慢するんだぞと春を送り出しました。
◇
1年が経ち、また夏の日に春がやって来ました。
「お父さん。春が来ましたよ」
「なに春? 夏が来ると春が来るって……」
見ると、少しふくよかになって血色が良くなっています。おまけに亭主からとお土産を持って、着ている着物は姑さんが徹夜で仕立てあげてくれたものだと言います。
しかも1日だけじゃなくて、「あんたはうちに大事な人だから」と、2、3日ゆっくりしておいでと心良く送り出してくれたのでした。
それを聞いた実父はニヤリと笑みを浮かべ、
「近所での評判はどうだい」
と尋ねると、春はうれしそうに、
「とってもいいわ。本当の親子でもこうはいかないって」
実父は大きくうなずいて、
「それじゃあ、そろそろばばぁを殺ってもいいな」
「お父さん。ばばぁなんて失礼よ」
「お前は殺したいと言ってたじゃないか」
「今じゃあ、家に帰ったらとっても親切にしてくれるし、私もお義母さんを大切にしてるの。亭主より好きなくらいよ。……それでね。お父さん。これ要らなくなったから返しに来たの」
春はそういって、昨年もらった白い粉を実父に返します。実父はわざと驚いた表情で「ええっ」と言いながら受け取りました。
そして白状します。「腹が減ったら飲めばいい。そりゃあ、ただのうどん粉だから」「だましたのっ」
だまされたことを知った春に、実父は言いました。
去年のお前はひどい状態だった。心も追い詰められていて。本当に殺してしまいそうなほどだった。
だからああ言ったんだ。殺してしまいたいほど姑に親切にすれば、それがウソでもしてもらった方は嬉しいもんだ。嬉しければ、今度は姑がお前を大事にしてくれる。回り回って、お互いに優しくなれると。
春は感激して、今おめでたで4ヶ月だと言い、実父と喜び合ったのでした。
最後に春はふと思いついて尋ねます。
「お父さん、ところでね。うどん粉の薬を飲ませていたら、今ごろどうなっていたんでしょう」
「――そりゃあ、手打ちだ」
◇
今までに2度ほど、仕事上のことで大きな失敗をしたことがあります。
その時は、職場にいるのも辛くて、離職も覚悟していました。
家路につくのも辛い。ああ、相方になんて言おう。
私のした失敗を聞いたら、相方からも厳しく責められるかも。
考えていることは、どんどん落ち込んでいきます。
心のうちを表情に出さないように、あいまいな微笑みを貼り付けたままで帰宅しました。
少し挙動不審のままでお夕飯を終え、少し時間ができたところで、意を決して言い出しました。
「時間をちょうだい。言っておきたいことがあるから」
改まってそう言うと、相方は何かあったなと直感したんでしょう。神妙な表情でうなずきました。
いざ対面して、相方の顔を見られずに少しうつむいて、自分の失敗のことを言いました。もしかしたら仕事辞めるかも。いや、辞めさせられるかも。
判決を受ける被告人のような気持ちで、じっと自分の膝を見下ろしていると、
「うん。わかった。大丈夫。わかったよ」
と相方は言いました。
顔を上げて、私は言いつのりました。
「いいの? 家計が苦しくなる。生活のリズムだって、引っ越しすることになるかもしれないし」
けれどそんな私に相方が言ったのは、
「そん時はそん時だ。そっちだって大変だったんだろ」
その一言に私は救われたのです。
そして、そのあと、子供をぎゅっと抱きしめて癒やされました。
◇
私たちはそれぞれの関係の中を生きています。
上司と部下、先輩と後輩、夫と妻、先生と生徒、スタッフとお客などなど。
そうした多くの関係のなかで、もっとも「無条件」といえる何かを持っているのは家族の関係です。
損得などで作られない関係。
一緒に暮らしている同居人というだけじゃなくて、一緒に生きているといえる関係。
私が相方の一言に救われたように、本当に辛いときに受け入れてもらえる関係。
そこには愛があると思うのです。
もし家族にどう接すればいいのかわからないというなら、春がしたように優しくしてみてください。何もすることがなかったら、抱きしめてあげてみてください。
きっとそこに愛が生まれる。そう信じたい。
※春風亭柳昇「里帰り」(youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=cVvB6voHqLk
16:00ごろからです。ぜひ聞いてみてください。
]]>道ばたのコスモス。窓辺に吊り下げていたポトス。光と影のきらめく竹林。五山の送り火。黄金色の稲。
最初のカメラ。フィルムのEOS-KISSで撮ったもの。
ファインダーをのぞくのが楽しくて、フィルムの感度の違いも、蛍光灯下ではフィルターが無いと色味が変わるのもわからずに、ただ気になった風景にレンズを向けてシャッターを切る。
初めの頃はそれが楽しかったのです。
……けれどもっと深く知りたい。もっと美しい写真を撮りたいと思うようになり、カメラの本を買っちゃったりしました。
◇
フィルムからデジタルに機種を変えて、ホワイトバランス機能がついて、枚数を気にしなくなって。
気がつくと、1枚のシャッターの重みが軽くなってしまいました。
それでも一つ前の愛機EOS-5Dには、多くの思い出があります。
初めてのLレンズで撮った写真に感動し、お金を貯めては標準ズーム、望遠ズームのレンズを買いました。
ウェブ上で見かけたドブロヴニクの写真に魅入られて、コンタックスレンズが使いたくなり、マウントアダプタを購入。
planarで撮った写真の生々しさに、Lレンズとは違う感動を覚えました。
結婚式のウェディングドレスの白が上手く写せなくて苦労したり、写真ブログを始めたり。
◇
でもある時、仕事でとあるプロジェクトチームに参加することになり、およそ半年くらいかな。まったくカメラに触れない日々が続きました。
無事に成果を出してチームは解散となりましたが、再びカメラを手にしても、なぜか撮影意欲が湧かない。たった半年のブランクなのに。
その事実に打ちのめされ、それでも何か写真を撮ろうとファインダーをのぞく。……でもシャッターを切れない。
心動かされる光景に出会い、カメラを構える。……でも以前のように構図がとれない。
どこにピントを合わせるか迷う。被写界深度に、露出に、アングルに、画角に、被写体との距離感に、迷う。
クセのあるレンズの、そのクセすら出せない。
出てくるのは平凡な写真ばかり。
また防湿庫にしまう日々が続きました。
オールドレンズだったplanar50には、気がつくとレンズに曇りが生じていて。
それがまた私の心の曇りのように見えてしまって……。
◇
打開策は何かないか。
単焦点縛りで撮ってみるか。
それともズームを持ち歩いて気軽に撮影するか。
迷走しながらも、撮ったり撮らなかったりする日々が続きました。
――そんなある日。ようやく納得のできる1枚が撮れました。
森の写真です。
なんの変哲もない写真。レンズはdistagon35。
でもその写真は、確かに撮影したときの空気を切り取っていました。
今はまだ撮ったり撮らなかったりしていますが、それでも一時期ほど焦ってはいません。
だってまた撮れるから。きっと納得のいく写真が。
同じように小説も迷う日々が続いていますが、こちらも焦ってはいません。
大丈夫。自分が書き続けた先に、きっと満足のいく作品が生まれるから。
そんな気持ちで、今日も私はパソコンに向かっているのです。
]]>蔵書が500冊を超えました。
うちは一軒家ということもあり、本棚が全部で17棹(本棚の数える単位)もあります。
相方、私、子供の本で、リアルで使用する資料集が3分の2ほどを占めていますが、小説および創作関係の本も増えてきました。
◇
大学生の時にも、よく本屋に立ち寄っては文庫本を購入していて、卒業後の引っ越しの際に文庫本だけでダンボールが何箱にもなりました。
それなりに処分もしていたけれど、確か200冊はあったはず。
これだけの冊数になると、買ったか買ってないか怪しくなる時もあって、本屋で見かけたときに、読んだ覚えがあるけれど……と迷うこともあります。
結果、重複している本もあったりしました。
◇
さて先日、義父が定年退職をし、それを機会に蔵書を整理されたそうです。
――その結果どうなったかというと。
かなりの量の書籍が私の家に……。笑えない。マジで笑えないです。
義父の書庫を見たことがあるけれど、屋外にプレハブで2つの書庫を持ち、確実に2000冊を超えていました。
そのうちの一体何冊がうちに来たのでしょう?
現在の私の家では引っ越しをしていないのに、引っ越しをした後のようにダンボールが山積みになってます。どうしよう、これ。
また本棚を増やさないといけないのかなぁと、思わず遠い目をしてしまいます。
◇
ともあれ蔵書管理用のデータベースを作ることにしました。重複していたらご免。処分させてください。
方法は次の通り。
1.エクセルで表を作る。
2.ラベルを本に張る。
とはいえ、なかなか日記も続かない私の事です。
一番大事なポイントは、「面倒くさくないこと」
そのため、表の項目も通番と書籍名、著者、出版社、置き場所だけ。
ラベルには、通番と所有者の名前だけにしました。
所有者の名前というのは誰の本かということで、特に創作・小説関係の本は実名でなくて「夜野うさぎ」名での登録にしたからです。
(SNSとかで話題にできるように)
ちなみにラベル印刷には、PCにつなげられるテプラが便利ですよ。
先日、長編小説を書き終えたばかりですが、今度は蔵書整理の日々を送ることになりそうです。はふぅ……。
]]>今期(2018年1月〜)のアニメは面白いのがたくさんありますね。
私が録画してるのは、デスマーチからはじまる異世界狂想曲、幼女戦記、ゆるキャン、宇宙より遠い場所、ヴァイオレット・エヴァーガーデン、fate/Last Encore、ハイスクール・フリート、オーバーロード?、覇穹 封神演義くらいかな。
あとは子供の好きなアンパンマンとポケモンです。
先日も、ゆるキャンを見ていて、思わずキャンプ飯が作りたくなり……。
◇
お鍋にスープくらいの量の水を入れ、火にかけます。そして、コンソメを適量入れて、バターを少量入れます。
ソーセージとチーズがあったので、まずはソーセージを入れて、調味料の棚にあったバジル、こしょう、ナツメグを投入。
ぐつぐつと煮立ってきたところで、食パン1枚とパン粉少々を入れて、上からチーズをいれて火を止めて、ふたをします。
そのまましばらく待つと、チーズコンソメ風味パンのおかゆの完成です。
鳴呼! お手軽料理万歳!
ひたひたの食パンがスープを吸って、ぐずぐずに柔らかくなり、スパイスの香りも立っていて案外うまくできました。
……あ、でも塩分が強いので、子供にはちょっと無理かも。
本当はブイヨンとか生クリーム(または牛乳?)が少しでもあれば、もっと上手にできたかもしれません。
◇
煮込む。スープ。お鍋。おでん。
寒い季節には温かいものが恋しくなります。
スプーンで一匙、口に含むと、スープにしみ出した食材の旨みが、深い味わいとなって口に広がっていく。
そして、心も体も温かくなるのです。
私が妊娠していた時、相方が作ってくれたのもお鍋とかスープが多かったです。
野菜たっぷりで、トマトの酸味が少し効いていておいしかった。
お陰様で体重が増えちゃって……。かろうじて適正の範囲内だったわけですが。
◇
様々な具材を煮込む料理は他にもカレーがありますね。
お母さんの料理といえば、カレーという子どもたちも多いかも。
母の味。家庭の味。
きっとたくさんの具材から染み出た旨みが、そのまま母の愛情のこもった料理となっているのかもしれません。(ちょっと強引?)
同じように相方のスープも。きっとそうじゃないかと、ひそかに感謝。
みなさんもいかがです?
煮込み料理で暖まりませんか?
]]>皆さんにはありませんか?
誰かから言われた、心に残る一言――。
◇
「お前、毎日がすごく長く感じてるだろ?」
ある日、私に投げかけられた先輩の一言です。
仕事が決まり、先輩について仕事のやり方を教わる。
けれど、私には辛いなと思うこともあって。
なにしろ、私の性格はかなくなな所があったり、冗談を真に受けたり、からかわれるのが嫌い。
どんなにライトなものでも性的な話など、ぜったいに聞きたくない。
今ならわかるけど、私って取っつきにくい性格だったと思う。
そのため、職場でもどことなく距離感を感じたりしていました。
……そう。
その時の私にとって、職場での、たった半日がものすごく長く感じていたのです。
◇
ある日、突然、とある先輩が私の所にやってきて、冒頭の、
「お前、毎日がすごく長く感じてるだろ?」
と言ってきたのです。
固まってしまった私を見て、さらに一言。
「ばーか。いっこいっこ100%でやってないから、そうなるんだよ」
◇
思わずハッとしました。
そっか。
心のどこかで、嫌だな、嫌だなって思いながら仕事をしていたのです。
目の前にある仕事の一つ一つを、自分の100%のつもりで取り組む。
すると、半日どころか1日があっという間に終わるようになりました。
気がつくと、自分の立ち位置も変わっていて、大きな仕事も任せられるようになって。
気がつくと、性格も変わっていたかも。……まだ冗談とか、性的な話を受け流すのは苦手だけれどね。
あの時の先輩からもらった一言。
今では部署も変わり、もう会うことも無くなってしまったけれど。
あの一言が今の私をかたち造っているのです。
ありがとうね。先輩。
]]>
カクヨム異聞選集が開催されるようですね。
応募要項によれば「実体験に基づくオリジナル作品のみ応募可能」。
これは実体験を語ったもの限定なのか、実体験をベースにした創作なのかわかりかねますが、今回は私がお寺さんから聞いたお話をひとつ――。
◇
「亡くなった方が、みずからご挨拶にくる」
思わず、え? と聞き返したくなるお話です。
お寺さんが言うには、
突然、誰もいないのにピンポンが鳴ったり、電話が鳴って出ると切れていることがある。
そういう時は、しばらくすると“誰それが亡くなったので枕経をお願いします”と連絡があるらしく……。
今では、そういう事があると、先に枕経の準備をして連絡があるのを待っているとか。
◇
お寺さんは、しみじみとおっしゃいました。
「あれはね。亡くなられた方が、自分でお願いに来てるんだよ」
決して嘘を言っているようには見えません。
不思議ですね。他の人が言うと信じられませんけど、お寺さんが言うと不思議と納得できてしまいます。
「怖くないんですか?」
とお伺いすると、笑いながら、
「まったく怖くないですよ。檀家さんですし……。むしろ、ありがたいなぁって思っていますかね」
とおこたえになりました。
幽霊と聞くと、私なら怖いですけど。多くの方の引導をされた、お寺さんならではの言葉でしょうか。
科学が発達して、論理的な思考が当たり前になっている私たちにとって、幽霊という非科学的な話はどうしても信じられません。
けれども、現実には説明のつかないこともまだまだあるようです。
◇
さて、この話を元にカクヨム異聞選集に応募しようかと思ったものの。
オチ無し、盛り上がり無し。
ぜんっぜんっ、物語にならない。
でも体験談って、そういうものかもしれません。
ちなみに、ほかの体験談だと、かつて京都に住んでいた1年の間に2回も金縛りになったことが……。
あれも夜、寝入りばなにいきなりだったから、まったく脈絡もなく、これまた物語にはなりません。
もちろん、京都は戦乱つづきの土地柄ですから、何が起きてもおかしくはないでしょう。
平安時代には怨霊におびやかされていましたし、私が住んでいた頃には、たまに貴船神社の林から藁人形が発見されたりするとか。
ちょっと脱線しました。
さて皆さんは、お寺さんのお話をどう思います?
怖い? 怖くない? 信じられない? 不思議?
◇
ちなみに葬儀の後に来る場合もあるらしいですよ。
その場合は、遅くとも四十九日までに来るらしく……、「四十九日の忌明けまでは、しっかり御回向しましょうね」と。
さすがはお寺さん。話の締めもしっかりしているようです。
※京都ではお寺さんのことを「おっさん」と呼びます。
]]>「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た」
川端康成さんの『伊豆の踊子』、冒頭の名文です。
先日、カメラを手にこの天城峠(旧天城トンネル)に行ってきました。
上を見上げると、葉っぱが透過光に輝き、緑のトンネルには天然の日傘のように優しい光が立ちこめている。
思わずシャッターを切り、美しくも、どこか優しさを感じる光景を写真に収めることができました。
私たちが色を認識するシステムは、モノに光が当たり、その反射した光が私たちの目を通して脳に投影されて認識をします。
この色を認識するシステムについて、ミシェル・パストゥローの『ヨーロッパの色彩』(石井直志・野崎三郎訳、1995年、パピルス)には、次のように書かれていました。
「この私たちの目に代わって記録装置(カメラやビデオ)が用いられると、多くの物理学者や化学者はその記録された色彩も色と考えるが、哲学者や人類学者は光だと考える」(要約・p35)
はたして写真に記録された色彩は、色なのか、光なのか?
そして、現像された色は、はたして本当の色なのか、虚色なのか?
写真を撮る人にとっては、興味深い問題ですね。
◇
続いて『ヨーロッパの色彩』から、
パリの大きな画材店。油絵の具売り場の責任者は、お客さんに色名の書かれていない色見本を見せて絵の具を選ばせているそうです。
お客さんはそれを見て色を選ぶ。ところがその後でその名前を教えると、とたんにその絵の具はいらないということがあるそうです。(要約・p38)
自分で欲しい絵の具を選んでおいて、名前を聞くやいらないという。なぜそのようなことがおきるのでしょうか?
ミシェルがいうには、絵の具の名前を聞いた途端に、記憶にあるその色が呼び出され、色見本を上書きしてしまうからだそうです。
少しややこしいですが、カメラ趣味の方は記憶色に調整することといえばわかるかもしれませんね。
撮影した写真の色と、記憶にある色との異なり。
現像の際に、彩度やホワイトバランスなどを調整して、記憶にあるその色に近づけたりします。
同じことが絵の具売り場で起きていたというわけです。
これもまた、色をめぐる虚と実のエピソードといえましょうか。
◇
そもそも色という言葉は、古フランス語・中世フランス語では、
「色という語はうわべ、虚飾、変装、策略、欺瞞(語源的にラテン語colorは隠すを意味する動詞celareの系列に入る)にしばしば結びつけられる語」(p35)
であるそうです。
またフランス語は、動詞コロレ(colorer)とコロリエ(colorier)を注意深く区別しているそうで、こういう区別は英語にはありません。
コロリエは、単純に表面に色を塗ること。
コロレは、ある色をあたえることであり、同時に特に色合いを加えること。
そのためコロレには数多くの譬喩的な意味が存在します。
「輝き、生彩、活気をあたえる、あるいは化粧する、美しくする、独創的にする、魅力的にする」(同)
なるほど、単に塗ることと与えることの違い。芸術を大切にする国の方は、本質的な意味の異なりをきちんと言葉に表しているわけですね。
お化粧がコロリエであれば、そのお化粧は単なる虚になってしまうでしょう。
ですが、コロレであれば、そのお化粧はその人の決意や願いが込められているといえるのではないでしょうか。
◇
さて色にまつわるお話を最後にもう一つ。
結婚式の時に白いウェディングドレスを着ることは、結婚前の行いが純潔で清らかだったこと、差し出された白百合であることを宣言するものでした。
ミシェルは言います。
「ドレスの白さは、花嫁が〈白いガチョウ〉であるというのではなく、つまりその純真さ加減が愚かな世間知らずの馬鹿と同じだというのではなく、純潔で清らかな、差し出された白百合であることを意味していた」(p41)
ところが白いドレスになる前、ずっと長い間、花嫁のドレスは赤色だったそうです。白は純潔と処女性のシンボル。聖書の文化伝統です。それなのになぜ赤色のドレスだったのか。
その理由は、花嫁の義務としてもっているもののなかで一番きれいなドレスを着たことにあるそうで、当時の染料と染色技術の関係で、ほとんど決まって赤いドレスだったのです。(要約・p42)
赤いドレスは、結婚の喜びを純粋に表すドレスだったのでしょう。自分の持っている最高のもので、愛する人と結ばれる結婚式に臨む。
その花嫁の思いは、白のドレスであろうと赤いドレスであろうと変わりはありません。
この白いドレスについての虚と実は……。書けないですね。自分も自信ないので。
◇
さて、色をめぐる虚と実の話はいかがでしたでしょうか。
たまには虚勢を張らなければならないときもあります。
自分を勇気づけるためにする化粧だってあります。
コロレ=単に色を塗るのではなく、色を与えるのなら、きっとその虚もやがて実に結びつく。そう思ったりします。
だから虚も実も大切なんじゃないかな。……もちろん、不誠実な虚は除いてだけど。
※川端康成『伊豆の踊子』は名作です。ぜひお薦めします。角川文庫でありますよ。
]]>草柳大蔵さんの『花のある人、花になる人』(グラフ社、平成13年)を読んでいて、次の話を知りました。
足利義満の愛妾に「高橋殿」と呼ばれる女性がいたそうです。
この女性は一生の間、落ち目になることなく出世したそうです。
その理由は、高橋殿は、義満の気持ちのコンディションをよく読んで、お酒も飲ませるべき時は飲ませ、控えるべき時は控えるなど、色々と心を配ったからだそうです。
このお話は世阿弥が『猿楽談義』(申楽談儀)で書いているのを、白洲正子さんが『古典の細道』で引用し、それを草柳さんが紹介したものを、私がここで書いています。
ややこしいですが、孫々引きをしています。
◇
それはともかく、草柳さんはこういっています。
「私は、この本を『おもてなし』の極意を伝えるものとして読んだが、世阿弥がこのあとで、高橋殿の?心づかい?を『色知り』と表現しているのに感心した。『色知り』とは『色好み』ではない。『人情の機微に通じる』ということである。心のタイミングやコンディションをわきまえているということである」(p40)
※『色好み』=情事に耽る人、または洗練された恋愛ができる人。ここでは前者の意味でしょう。
◇
ネットの世界では相手の顔が見えないから、勢い舌鋒が鋭くなり、相手の心を深くえぐるような言葉を使いがちになります。
広いネットの海には、小学生からご年配の方まで多くの方々がいらっしゃいます。あたかも海に多種多様な生き物がいるように。
しかも自己を守るためにアバターやアカウントで名乗り、本名を明かしません。
それにもかかわらずに、知らず私たちは、目の見えない相手が、自分とほぼ同年代であるかのように接することが多いのではないでしょうか。
その理由について私は、基本的に人は自分の経験をもとにしてでないと物事を判断できないからだと思います。
ですが、相手は自分と違う年代かもしれない。自分とは違う経験をしてきた人かもしれない。自分とは違う国の人かもしれない。
そう思うと、相手のコメントを多様性の一つとして受け入れ、その上で自分の考えを示さなくてはならないでしょう。
頭で理解するでもなく、心で受け止めるのではなく、色眼鏡をかけずに受け入れるということ。これもまた色知りと同じく難しいことですね。
◇
とはいえネットの世界は危険な領域も含んでいます。多少の制限はかけられるとはいっても、基本的に国境が無い、ノー・ボーダーの世界です。思わぬところに落とし穴がある時も……。
中高生や大学生、また大人の方もそうですが、自分の身は自分で守りましょうね。
危険を感じ取る。それもまた「色知り」じゃないかと思います。
※もしまずいなって感じたら、ご両親や周りの人に相談しましょう。一人で悩むとより深みにはまりますし、一人で抱え込むより何倍もましですよ。
――――
あ、そういえば、サイクル的にそろそろ相方ネタの番が……。でもなぁ、段々、おおっぴらに書けない話になりそうで怖い(笑)。
【追記】
(カタカナを平仮名にしています)
「鹿苑院の御思い人高橋殿(東の洞院の傾城也)、これ、万事の色知りにて、ことに御意よく、つゐに落目なくて果て給いし也。上の御機嫌を守らへ、酒をも、強ゐ申すべき時は強ゐ、控うべき所にては控へなど、様々心遣ゐして、立身せられし人也」(日本思想大系『世阿弥・禅竹』、岩波書店、1974年、p306)
と確認できました。
]]>
◇
桜の開花が遅れていましたが、ようやく咲いてくれました。
けれど、3日間も深い霧が立ちこめる日が続き、そして、雨が続いていて……。このままお花見ができないままに散ってしまいそうです。
桜といえば、いきものがかりさんの『SAKURA』が思い浮かびます。
私ね。最初にあの歌を聴いたとき、歌詞で「うん?」と思ってしまったところがあって……。
◇
オノマトペの話題になりますが、皆さんは桜が散る様子をどのように表現されますか?
ひらひら?
はらはら?
ふうわり?
え? ふわふわ ふるる? それはthokoさんの歌のタイトルです。
◇
これって散る様子のどこに心を寄せているのかという問題ですね。
ひらひらは、一枚の花びらが風に流されている様子。
はらはらは、桜の花びらが一斉に散っている光景。
ふうわりは、微風に花びらがそよいでいる様子かな?。
同じ桜が散るのを文字で表現する際も、ちょっとしたところで登場人物の目線がどこにあるのかが変わってきてしまいますね。
◇
ひらひらと散る。
はらはらと散る。
どこに美しさを感じているのか。
その情景にどのような感情が込められているのか。
風流という言葉もそうですが、感覚的な表現がいくつもある日本語って本当に美しい。
だからこそ丁寧に表現を選択して書くことが大切なのです。(自分はまだまだですが)
]]>ようやく締め切りのある仕事を提出し終え、一息つこうと思ったところで、本棚に並ぶ一冊の本が目にとまりました。
Screenplayの『キャスト・アウェイ』です。
映画のセリフを、見開き左頁には英文を、右頁には和文を載せたシリーズで、大学生のころに購入したものです。
『キャスト・アウェイ』はトム・ハンクス主演の映画で、輸送会社のフェデックスに勤務する主人公チャックが、墜落事故から無人島に漂流し、再び島から脱出して帰ってくるストーリーです。
◇
皆さんなら「フラグキター!」と仰るでしょうが(笑)、
チャックは飛行機に搭乗する前に恋人のケリーに一つの箱を手渡します。
普通のプレゼントではなく、大晦日に二人で開けたい。そこで大事なメッセージを伝えたい。
……もうおわかりですね。プロポーズの予告です。
しかし、チャックの乗った飛行機は墜落してしまいます。
捜索隊が出ますが、チャックの生死もわからない。
その時のケリーの気持ちはいかばかりだったことでしょう。
◇
無人島から戻ってきたチャックが、恋人のケリーと再会するシーンにはとても切なくなります。
もうケリーは……。と、ここから先はネタバレですね。ですが、胸を打つシーンはこの後に。
チャックは言います。
――ぼくは彼女をもう一度失ってしまった。ケリーを失って、とても悲しいよ。
でも、彼女の写真があの島で一緒にいてくれたことにとても感謝している。それで、今、どうすればいいか、わかるんだ。生きていかなければと。なぜなら、明日、太陽は昇る。潮流が何を運んで来るかは誰もわからないだろう?!(p131)
無人島での漂流生活。生きていく希望だったのは彼女の写真だったのでしょう。
でもその彼女を失ってしまった……。
それでもなお、生きていかなければとチャックは言います。
だって自分のところに、明日は何かが訪れるのかもしれないじゃないか――。
◇
3月31日の昨日で3月は終わり。今日からは新年度です。
The end is the beginning. ――終わりは始まり。
皆さんのところにも新しい出会いが訪れますように。
]]>「ふぅ〜」
とトイレで一息。
そこへ突然、扉が開いて、
「あのさ〜!」
え? なんで相方が? ……のぞくんじゃないよ!
ってか、どうやって鍵を開けたの?
頭がパニックになりつつ、「あ、それね」と普通に応答する。
新婚のころ、そんなことが幾度もありました。
今度から変態と呼んでおこう。あんまり続くんでそう思ったり。
ちなみにその後、お返しに私がトイレに突入したことも(笑)。あんなふうになってるんだね〜。
◇
私の義弟が弁護士をしてるんですが、話を聞くと離婚の相談が多いようです。
(もちろん守秘義務があるので個々の案件や詳しくはきかないし、向こうも話しません)
色んな夫婦がいて、抱えている問題も様々。
悩んだ末に離婚を選択する。それも一つの解決策なのだと思います。
とある夫婦が離婚をしました。
その原因が相手が統合失調症になってというもの。
もちろん子供がいれば子供のために、また生活が激変するので仕事にも影響が出るから、離婚の選択も仕方ない。
ただ、あの症状の回復には家族のケアが必要であることも事実です。それなのにバラバラになってしまう。
悩んだ末での結論でしょうから仕方ないんだけど。やるせないなぁって感じてしまったり。
◇
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を分かつまで、真心を尽くすことを誓いますか?」
教会ウェディングでのオーソドックスな誓約の言葉です。
神仏の前での式は、神仏との誓約になるわけです。
人前での式は、参列者との誓約になるわけです。
幸せの絶頂の時。勇んで「はい」と返事をした人。はにかみながら「はい」と返事をした人もいるんじゃないかな?
だけど、病めるとき、貧しいときに夫婦関係を続けるのは、とても難しいのかもしれません。
年を重ねると、相方の看病をしたり介護をしたりすることもあるでしょう。されることもあるでしょうし。
それを考えると、トイレに突入されたり、突入することなんて何でもないことだよね。←結論(笑)
相方はやっぱり愛方なのです。
◇
離婚をする夫婦が多い。
……そんな中、たまに聞きますよ。
また同じ人と再婚して夫婦となるカップル。
私はそういう夫婦を応援したい。
]]>先日、とある方がよく聞く音楽のリストをツイートされていました。
そのなかで徳永英明さんの『壊れかけのRADIO』があって、「あ〜、そういえば兄がよく聞いていたな」と思い出しました。
徳永さんの美しい声で歌われる。またその歌詞に哀愁をひしひしと感じました。
(ちなみに私のIpodにも入ってます)
最初の1台の黒いラジオ。
中学生や高校、大学と青春を音楽とともに過ごしてきた。大切な思い出のラジオを歌った言葉たち。
私の勝手な想像ですが、
ウォークマンが登場して音楽をテープで持ち歩くようになった頃の物語だと思っています。
◇
最初の1台。
そう呼べる物がみなさんにはありますか?
私にとっての最初の1台はフィルムカメラのEOS kissです。
高校生の頃にお小遣いを貯めて買った最初の1台。
フィルムを入れてシャッターを切り、仕上がりをドキドキしながら待っていて……。
現像された写真を見て喜んだり凹んだり。
あれから社会人になって給料を貯めて、ようやく5Dを購入して、中古市場をチェックしながらレンズをそろえ。
気がついたらレンズ沼に浸かっているという(笑)。
カメラの機材は買ったり手放したりもしましたが、最初のkissだけはいまだに保管庫の奥に大切にしまっています。
どうしても手放せなかったんですよね。思い出をなくしてしまいそうで。
物には思い出がやどる。それも最初の1品には特別な思い出が込められている。そう思います。
◇
世阿弥の言葉に「初心忘れるべからず」という有名な言葉があります。
最初の頃の気持ちを忘れてはいけない。
そういう意味ですが、この言葉には続きがあって、
世阿弥は、
「時々の初心」
「老後の初心」
も忘れてはいけないと述べています。
修練を積んで、できるようになった技。
積んできた経験。
その時々の「初心」。
いろいろな解釈があるでしょうが、私は生き生きと学びつづけることだと思っています。
技でも仕事でも、慣れてくると新鮮さが失われてしまう。
洗練されるのとはちがって、自分ではそう思ってしまう。
そういう時はありませんか?
時には悩んで立ち止まる時もある。
少し道を戻って考え直す時もある。
それでも前へ前へとめざしている。
その姿に生きるという輝きがある。
そのヒントが「初心」に秘められているのではないでしょうか。
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